ところが2016年にダブリン~ロンドンへ居を移してからというもの、こちらで出会う日本人の多くが、「自分は英語ができないから、○○○が×××(ネガティブ表現)」と、口にするので、その都度「はぁ?アナタぜんぜん英語“できて”ますけどねぇ、どの次元を指して“できる”って言うんでしょうか?」と、悪態をつきたくなることしばしば。
ワーホリや語学留学とかでコッチにきて数ヶ月くらいの若者ならいざしらず、在英10年以上の方からそんなことを聞かされると、ウーム・・・なのである。
それは日本人特有の謙遜として「できない」って言ってるの?
それとも「自分は本来もっとネイティブ並みにペラペラと英語を操れるようになるべきだ」と夢のようなことを期待しているの?
はたまた「英語ができない」を言い訳に、何かをやり遂げたり、チャレンジすることから逃げてるの?
私の英語レベルは、ジャパニーズ訛りのある、文法の時勢と冠詞定冠詞の間違いがネイティブをイラっとさせ、自然な言い回しよりギクシャクした表現を多用する、ヘンテコな英語を話す外国人の“それ”である。時に相手によっては会話が成立しなかったり、呆れられたり諦められたりもする、ちょっと悔しいけど幼稚な次元ではある。
でも、いまの私の英語は「これ」なんだから、それは否定しないし、それを何かの言い訳にしたくはない。早く上手くならなきゃ!と、焦ることも、あんまりない・・・、だって、焦れば焦るほど、自己嫌悪に陥って、ネガティブスパイラルにはまってしまうでしょ?
それでも毎日毎日英語のシャワーを浴びて生活しているから、通りすがりの人の会話だって、TVやラジオだって、貴重なインプットの機会というか、焦らなくてもそれらはいつか自然と自分の中からアウトプットされていくんだ、って根拠なき自信は結構ある。
実は、ずっとヨガをやってきたのだが、ヨガのポーズって信じられないくらい難易度の高いものもあって、それを習得するのと、外国語を習得するのって、結構似ている。
まずは「いま」の自分の現状を知って、受け入れる。それを否定しない。
「いま」の自分ができることは、ちゃんとできている、って事実を認める。
「ほんとなら、もっとできていいのに!」なんて高望みしても意味ないし。
「できるように、なななななりたーいっ!」と、無謀な無理は空回りするだけ。
するべきことは、現状を認めた上で新しい学びを”実際に自分でプラクティス”するだけ。
何回も何回も繰り返して、結果をあまり求めずに、練習すること自体を楽しむ。
いまの自分ができることを、しっかり味わうようにじっくり経験する。
楽しくなかったら続かないし、変なプレッシャーかけたら委縮しちゃうし。間違えちゃいけないとか、失敗したら恥ずかしいとか、変なプライドや面子は早々に捨てちゃうのが秘訣なんじゃないかな。
「ロンドンに住んでるけど英語ができないからネイティブの友人がいない」とか、「ダブリンにワーホリで来たけど英語ができないから仕事がない」とか、百回くらい聞いたけど、そういうことを言う人はね、英語ができても今と同じ状況だと思うよ。
だってさ、ロンドンにしろダブリンにしろ、英語がネイティブじゃない人達が、その「英語のレベル」など言い訳にせず、学校に行き、仕事をして、子育てをして、普通に地に足つけて生活している都市なワケで。“学校に行く” ”仕事をする“必要がある→おのずと英語がマストな環境になるから身に着けざるを得ない・・・というのが順序でさ、英語ができないから学校行かない(から将来が無くなる)とか、仕事しない(から家族が路頭に迷う)なんて選択肢は、はなから無いはず。
まずはさ、今の自分が置かれた環境で、生きようよ。大人なら働いて、学生なら学校通って、地域に根差して活動して、人間関係築いて・・って、普通に自分の国でやることをやろう、そっちの方が先決。その上で、もしその環境が英語を必要とするのなら、必要な分の英語力は自ずと身に付くから、それでいいんじゃないの?
ロンドンへ留学やワーホリで来ても、自分の環境が日本人に囲まれているのか、外国人に囲まれているのか、現地人に囲まれているのかによって、必要な英語力って異なるよね。ブロークン英語で通用する環境に生きているのなら、その程度でいいんだと思うよ。それ以上を求める心は、単なる自分のエゴの声なんじゃないかな。
いや、私あんまり他人と関わりたくない引きこもりなんです、って人でも、英語を介した趣味や興味の探求でムチャクチャ英語力は伸びるし、今はネットでいくらでも情報が手に入るんだから、それを上手く利用していかに楽しくリアルな英語と触れて、色々な語彙や言い回しを身に着けるかは、その人次第。
私も若かりし頃にロンドンで数年を過ごしたものの、今回本格的に移住をして約1年とちょっと。ようやく英語ベースでの毎日の生活に慣れかけてきたかな?くらいのスローテンポぶり。
それでも、毎日耳にする会話や、観るテレビ、聴くラジオ、読む雑誌や記事、目にする広告といった自分を取り巻く様々な情報が、本当にすべて新鮮な発見の連続で、まったく飽きないし、日々ワクワクしながらこの国の言語と触れ合っている真っ最中。ま、いまはこんな感じにマイペースで、英語が自然に吸収されていくのを見守っていこうかな、と。
2 件のコメント:
素晴らしい!
僕も、大学での最初の4ヶ月、卒業後の本屋での2カ月以外は、英語で不自由をしたことはありません。んが、おっしゃること良く解ります。周りでは、英語自信ない〜という学生が多かったです(流石にトランスファー先の大学ではそれはなかったのですが)。
ネイティブ並みにペラペラ喋れるようになりたいのであれば、それ相応の努力が必要ですよね。
働き、喋り、聞き、読み書き、人に教え、講演し、、、ということをすれば着実にレベルは上がります(なので夢ではないと思います…。)あと学生の頃は、彼女に朗読して「なんか変な箇所あった?」と訊いていました。
個人的には、チューターをやったときが一番伸びた気がします。ネイティブに発音や小さな間違いで舐められたらイヤだなと思ったので、自分の話す言葉にも気を遣いましたね。イイとこの大学だと、そういうことを気にしないでリスペクトしてもらえたりするんですけど…。
コメントありがとうございます!
同意してくださって嬉しく思います。
我々日本人が英語をモノにするには、事前に練習や準備するというよりは、すでに持っている能力を駆使して実践し、失敗から学び、くじけずひたすらチャレンジする・・・しかないと思うのですが(他のどんな技能もしかり)、そのチャレンジするための前提として「何かを必要とする」意識が、なんか逃げてるよね、と感じた次第です。
チューターをされたり、彼女と恋愛したり、講演などをされたり・・・といった経験がおありなんですね。ということは、まずは実践があり、その経緯で上達せざるを得ない環境にいたのだと推測しますが、これ以上に身に着く方法はないのでは?と思います。
「ネイティブの彼氏がほしいけど英語ができないからムリ~」とのたまった知人に、「どりゃ~、まずは周りが目に入らないくらいの恋愛をしろー!英語力云々はそれからだ!」と叱咤したことも、この記事を書くキッカケになりました。
まずは実践ですよね。
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