2022/08/15

魚介類が恋しくて

ワタクシれっきとした日本人ではあるのだが、オトナになってからの食習慣が普通ではなかったせいか、日本を離れてもさほど「日本食が恋しい」とは感じてこなかった、過去形ではなく今現在も、である。


思い起こせば幼少期、家にあった世界の旅シリーズ的なカラー図鑑を何度も何度も食い入るように読んでいたようで、中でも「世界の料理」パートに乗っている異国料理がやたらと美味しそうで、いったいどのような味がするのかを、アレコレ想像膨らませていた記憶がある。そんな小さいころに下手にインプットしてしまった異国への憧憬&異国料理への執着は、ウン数十年後しっかりと達成しているあたり、やはりしぶといしつこい蠍座のオンナなのであった。


ともあれ、気が付けは、炊きたてのごはんにお味噌汁とか、今日はスキヤキよー&ワーイとか、2日目の煮詰まったのが美味しいんだぜーのカレーライスとか、そういう典型的な日本的な食事というのは、多分高校卒業とともにオサラバしてしまい、以降、やれフレンチだイタリアンだインド料理だタイ料理だ・・・と、当時火がつき始めたエスニックブームに後押しされつつ、なんかワケわかんないものを好んで食べるようになった。


さらにロンドンに家出したのちに、若気のいたりで「保守的なイギリス人家庭生まれ→幼少期はシンガポール→少年時代は英国寄宿舎学校育ち→卒業以降アジア大好きバックパッカー」のいまの旦那を連れて帰国してしまい、彼のMixed-upされた食癖と相まって和洋折衷入り乱れたワケわかんない食事が、私の食生活の中心になったのである。


日本で旦那と過ごした20年間、いわゆる日本食的な料理は数えるくらいしか作ってなかったんじゃないかな、と思う。炊飯器すらなかったし。


なので私にとっての日本食って、会社のランチタイムに食べる定食屋とか、飲み会の居酒屋とか、たまにふんぱつする懐石や寿司や鰻とか、ほぼほぼ外食に限られていたわけで、正直いまのロンドン生活とあんまり変わらなかったということか。


まあまあ、そんなこんなで、日本を離れて6年目にさしかかり、ロンドンでは日本の方々ともお知り合いになる機会も多少あり、お話をするたびに話題にあがるのが、やはりなぜか日本食の話。


配偶者も子供も付き合いも現地ドップリの方は、やはり日本食からはかなり離れた生活がデフォルト化しているし、駐在さんや日本人どおしの家族構成の方々は美味しい日本食ライフを維持するため、どこそこのスーパーやデリバリーがお得で美味しい等々の情報が豊富。


私も、たまに納豆食べたい!とか、海苔食べたい!とか、みそ汁のみたい!とか、半年に1回くらい思うことがあるが、納豆以外はたいて普通のスーパーで買えるし、納豆にしてもどの町に必ずある中華系または韓国系スーパーで冷凍ものが入手可能なので、あんまり日系スーパーとかデリバリーとかの必要性は感じてない。


そんな、食の非国民であるワタクシが唯一、日本的なもので恋しいなあ、と感じるのは魚介類。日本料理としてではなく、食材としての魚介類。これがね、なんか切実(笑)


ご存じのように英国は四方を海に囲まれた島国なので、当然ふつうに魚介類を食すると思われがちですが・・・、いや、実際皆さん食されてます。フィッシュ&チップスとか、スモークサーモンとか、サバのソテーとか、SUSHIだって普通にファーストフードとしてお惣菜コーナーに必ずあるくらい。


が、しかしですね。島国のわりには魚介の新鮮さが日本と違うというか、生食ではなく加熱調理を前提としているようで。たとえばフィッシュモンガー(魚屋さん)に一歩足を踏みいれると「サカナ臭い」し、大きめスーパーのお魚カウンターで買う生魚は「生食厳禁」のクオリティだ。日本のように刺身用のお魚が欲しいときは、日系スーパーの冷凍ものを買いにいかねばならん、当然高価である。


なのでね、別に日本食ってわけじゃないけど、ちょっと新鮮な浅利やムール貝をサクッとワイン蒸しかなんかで作りたいわーとか思っても、普段使いのスーパーでは新鮮なもの(調理前のもの)まず手に入らない。調理済みの真空パックや生臭いむき身パックなどはあるが、とても食べる気にはならない。


ここのところ、糖分控えるために炭水化物ほぼ絶ちして、タンパク質を積極的に摂るよう心掛けているせいか、なんかお肉はおなかイッパイな感じがし始めてて、もうこりゃ魚介類でしょ~と思って、探しているのだけど、なかなか思うような食材がないの、通常の普通の日常の延長線上では。


海を隔てたお隣の国おフランスでは、食に対する意識&執着が別次元だからか、魚介も普通に日常使いでいただいてらっしゃるのよね・・・。と、知人の話や、Yutubeを見ては、うらやましいわーと地団駄踏んでいるこのごろ。


そんな悶々がずーっと燻っていたせいか、先日ロンドンで友人と休日ランチをしたときには、ついつい我を通して、フランスのブラッスリーとかでよくあるFruits de Mer 魚介類盛り合わせを所望。島国のイギリスでフランス流シーフードを食べるのもなんだかな、と思ったけど、コロナ以降の外食自体も久々だったし、日本人でも美味しくいただけるクオリティの魚介類もひっさびさだったので、相当堪能させていただきました。


ただ、元日本在住者としては、日本だったらこのクオリティって、普通に普段の日常生活の延長線上にあって、決して「ハレのお食事」ではないよなぁ、と、ちょっと寂しい想いも感じたということも付け加えておく。

2022/08/08

フエルテヴェンテューラ島(カナリア諸島)

北アフリカ沖に位置するスペイン領の群島、カナリア諸島というがある。(大瀧詠一を思い出すそこのアタナ!同世代です!)


日本からは地理的にもあまりポピュラーな渡航地ではないが、イギリスやドイツでは「安くて近いビーチリゾート」として人気だ。


ところで6年前まで日本に住んでいた我々夫婦は、生粋のビーチラバー(=単に南国のビーチを純粋に愛するという意味)で、近場のグアム・サイパンはもちろん、フィリピンのボラカイやパラワン諸島、タイのコサムイ・コタオ・コサメット、インドのゴア、パラオ(ここはダイビング目的)、マレーシアのティオマン、ニューカレドニア、フィジー、果てはタヒチまで、年に3-4回はどこぞやのビーチで1-2週間ほどダラダラとリラックスするのを糧に、日々の労働に精を出していた。


当時住んでいた日本自体がすでにほぼ亜熱帯気候だし、数時間飛行機に乗ればアチコチの綺麗な手つかずのビーチに行けてしまう日本という国は、非常に恵まれている。そして、日本生活最後の10年は、湘南のとある海岸町にずーっと住んでいたくらいだから、夏!暑い空気!青空!太陽!ビーチ!水!というのが、当たり前に「ある」という生き方をしてきたのである。

が、しかし。6年前に日本を去り、ダブリン経由でロンドンに居を構えるようになり、何が足りないか?っていうと、そうなの、夏!太陽!青空!の絶対量が非常に少ない。夏場は日が長くなるけど、冬場は朝起きても暗いし、お昼ちょと過ぎるともう暗いし、日が出ているべき時間でも曇りか雨で肝心の太陽がでてこない・・・・というのがデフォルト設定。

これだけ太陽摂取量が少ないと、ニンゲンやっぱり太陽!青空!を希求するもので、イギリスではちょと天気がよければスグにどこでも日光浴してメラトニン生成してるし、ホリデーシーズンともなれば、国内外を問わず彼方此方のビーチへワンサカワンカと押し寄せる。


フランスやイタリアの知人たちは、夏のバカンスは国内でまかなうことが多いようだが、イギリスやドイツの人々は、国外へ向かう方が多いみたいだ。(by さっくり自己統計)


そんな海外派のイギリス人達が夏のホリディへ向かう渡航地としては、ギリシャの島々、地中海のマヨルカ島やイビサ島と並び、カナリア諸島がむちゃくちゃ人気で、超格安パッケージツアーなどがバンバン出ている。


(どうやらイギリスのワーキングクラス系の方々は、この超格安パッケージツアーを活用なさって、イケイケゴーゴー的にホリデイをエンジョイされるようで、そのプチ・フーリガン具合は嘲笑の対象になるくらいだったりするから、世の中けっこう残酷というか、私こういう風潮嫌いだわ。)


ともあれ、元ビーチラバーの我々夫婦も、いい加減そろそろホリディにビーチとか行きたいぜいう話になり、仕事や生活や住処や私のビザ問題(コレが一番の問題だったのよー、海外出れないし!プンスカ!)が落ち着いた2019年の夏にギリシャのケファロニア島へ10日ほど滞在した。バイクで島を回り、気になるビーチでノンビリ過ごし、「おおおお!やっぱ良いよね!夏!太陽!青空!ビーチ!」と、なんかチョイと我々の心の奥に変な火がついた。

んでね、私も旦那さんもフツーにサラリーマンとして週5日拘束で働いてて、イギリスなのに有休がとりずらい企業にいるため(くっそー)、フラリと1か月ほど南の島でノンビリ・・・なんて出来ない境遇ゆえ、どうしても1週間くらいのちょっとした気休め程度のホリディでお茶を濁すしかなくて。これじゃタイとかフィリピンなんて、とてもじゃないけど行けないヽ(T-T )ノ


そんな社畜の我々の救世主としてon the beachなる、ビーチリゾートに特化した格安パッケージツアーのサイトがあり、イエス、これは前述したワーキングクラス系ご用達なのですが、我々このサイトで初めて「パッケージツアー」なるものを予約してみました。コロナが落ちつき始めた2021年秋のことです。


カナリア諸島の一番観光地化されていないフエルテヴェンテューラ島10日間パッケージ。


日本の感覚では、パッケージツアーというと添乗員付きの、すべてお任せツアーのイメージがあるけど、ここでいうパッケージツアーというのは、航空券&ホテル予約がセットになっているだけで、あとは丸っと自由。


「イギリスのプチ・フーリガンにまみれてのビーチホリディなんて気が進まないわー」と、鼻持ちならないボヤキをかましながら、ルートン空港からLCC(格安エアライン)のeasyjetに乗り込む。ロンドン北部にあるルートン空港は、easyjetの本拠地で、他にもライアンエアーやウィズなどのLCCが就航するこじんまりとした国際空港だ。機内はLCCの中では座席に余裕がある方と言われていて、確かに欧州都市への1時間程度のフライトなら良いかもしれないけど、カナリア諸島はスペイン領とはいえアフリカ北部沖なので4時間半のフライト・・・こんなちっぽけな空間で4時間も過ごすのはヤッパ苦痛!という感じは否めない。

が、しかし、なんといっても「格安ツアー」なワケだから、文句なんて言ってはいけない。言うくらいなら、何倍もの金額を出したそれなりのクラスで旅をしたまえ!というものだ。


ま、そんなこんなで、あまり期待せずに向かったフエルテヴェンテューラ島、これがね思った以上に良かったのよ。火山島ならではの荒々しく乾ききった土地、砂漠や砂丘の中を車でドンドン進むと、手つかずの美しい海岸があちらこちらに点在。

フカフカの白浜に、透明度の高い水色の海、そしてほとんどない商売っ気(笑)ビーチベッド&パラソルの貸し出しはあるけど、ビーチバーやビーチレストラン、土産物の売り子的なものがほとんどない!これが非常にポイント高し。


観光客の質とか雰囲気も含めて、これまで見聞きしてきたカナリア諸島とは、ちょっと違う印象。どちらかというとあまり観光地化されていない島のようで、我々にはちょうど良い。


ということで、昨年の秋と、今年も5月にそれぞれ10日ほどのホリディを、このフエルテヴェンテューラ島で過ごしたのであった。詳しくは、また気が向いたら書いてみる。

2022/08/05

この気持ち悪さは単に土足文化のせいなのか?

5年前からロンドンに住んでいる。


基本、体育会系からは真逆に位置するニンゲンであるが、ある程度の運動をせんと健康上よろしくないため、やむなく渋々水泳を日課にしている。(いや1日おきだけど)


しかし、よく考えたら、やれダイエットだー!やれボディメイクだー!と、30歳くらいからジムで筋トレや水泳、あげくにアクロバティックなアシュタンガヨガを続けてきたくらいだから、自分で思っているより全然「肉体派」なのかもしれない。


ともあれ、ロンドンにきて不摂生がたたり、限りなく糖尿病に近いおデブちゃんになり果てた昨今、手っ取り早く運動再開しようと思い始めたのがランニング。


が、近くのハムステッドヒースという丘陵地帯をガシガシ走っていたら、膝を痛めてしばらく歩くこともできなかった。くっそ。


まあ、この体重で山道みたいなトコ走るのは無謀だわね、と軽く悟り、今年に入ってからは水泳にシフトした。イギリスにはBETTERというスポーツセンター協会があり、メンバーになっておくと各地の市営施設内で自由に運動ができるので、これを利用している。


ウチから一番近いのは徒歩10分ほどの距離にあり、自宅勤務の身としては便利なことこの上ない。自宅での仕事が終わればチャーっと着替えて歩いてプールで水泳、帰りスーパーで夕食の買い物して帰宅、と地元で全部すんじゃうのは、やっぱ楽。


が、しかし。楽だけど、なんかイヤだな~、と DAY1から感じていて、それが何故なのか気づくのにちょっと時間がかかったのだが、公共施設の更衣室やシャワーなどが、どうもやたらと汚く感じて仕方ない。


「汚い!」と断言できず「感じる」にとどめているのは、周囲の人たちがまったく気にしていないからで、恐らく自分の日本的な衛生観念というか、ここイギリスでは潔癖症とみなされる病的反応自体が問題なのではないかと、軽く内省。


だってさ、日本のジムやヨガスタジオの更衣室って、普通に清潔じゃない?壁やベンチに触れないようビクビクすることもないし、ふつうに素足かソックスで歩ける。それって、まあ室内は土足厳禁って前提あってのことではあるけれど。


はてさて、ロンドン地元の公営プールの更衣室はというと、当然床は水浸しな上に、土足で歩くワケだから、ドロッとジャリッとしている。そのくらいならビーサン履いて歩けばいいのだが、そこに更に、無数の髪の毛の束、お菓子の食べかけ、ティッシュのかけらなどが、ドロッとゴチャッとへばりついていて、まぁ非常に不潔というか、オエッとするくらい不快なのだ。


ビーサンを履いてソロリソロリと歩く私をよそに、他の人たちはほぼ99%素足だ。シャワーを浴びた後でも、このドロッとベトッとジャリッとした床をフツーに素足で歩いてる。そして、このドロドロジャリジャリの床を素足で歩いてプールエリアへ向かう、むろん日本のような腰湯的なものは、ない。


たったこれくらいで気持ち悪がってドースルの?と呆れられそうだが、これだけじゃないのよ。


たとえば個室シャワー、床はカツラが作れそうな量の髪の毛だらけ、なんなら壁にもやたらと髪の毛がへばりついている。壁やドアはベトベトしていて触るのが怖い、腰かけるベンチ的な部分も何故か絶対濡れてる、泥だらけの足跡、お菓子のかけら、意味不明のベトベト。


そして最も解せないのは、清掃のおねーちゃん達は、割と頻繁にガッツリ水撒いて消毒液使って清掃している(2時間に1回くらいか?)にもかかわらず、常に汚いってことは、常に誰もがみな汚しっぱなし!ってコト?


そんなこんなで、爽快にスイミング~!という気分にはあまりなれず、どちらかというと気分が滅入りながらの義務おつとめ感満載で、ちっとも楽しくナイ。


まあね、そもそも外で土の上や犬のウンコの上を歩いた土足そのままで、絨毯引きの家の中に入って過ごして、時に靴履いたままベッドの上で横たわることすら、フツーに当たり前って世界に、過剰な潔癖症のニッポン人が入り込んでるワケだから、この軋轢は避けようがないのよね。


2年前に始まったコロナ騒動では、この国の衛生観念と死生観の雑さに心底仰天しまくっていたけれど、なんかそれにも慣れちゃって、オノレの小心さとか、過保護で神経質で過敏な部分が、どんどんガサツになっていくようで哀しいのだが、それでも、このプールの更衣室だけは絶対慣れたくはない。

(建物は古くてカッコいいんですけどね。。。)


2022/08/04

UKロック(オルタナ系)かぶれの成れの果て

10代の鬱屈した思春期に、「オイコラ!このやり場のない衝動や想念とどのように折り合いをつけたらよいのだ?」と、人並みに悩んでおった時に、救いの手を伸ばしてくれたのは海の向こうから発信されるニューウェイブやオルタナ系の音楽だった。それは欧州中心のバンドやアーティストだったけれど、UKものの占める割合が高かったため、個人的には(当時の語彙力の低さもあいまって)さっくりと「UKロック」とひとくくりにしていた。


実は自分は非常に恵まれた、どちらかというと裕福な環境で育った「いわゆオジョーサン」なのだ、という自覚は昔からあった。そしてそれがとても嫌だった。地元の小学校や近所の遊び友達とワーワーキャーキャーやっていたお転婆娘だった自分が、中学受験して皇居そばの女子校へ進学した時点で、「はい、アナタはアチラ側ね」と、ハブられた気分になったのを覚えている。


そしてうちの家族は非常に過保護で異常なまでに心配症でもあり、友人と出かけられないよう毎週末は家族で旅行やおでかけ、そして学校のスキー教室などは「危ないから」という理由で参加することができず、電車やバスなどの公共交通を極力避けるためにお抱えの運転手がいたほどだ。


さらに残念なことに私の外見が「小さくてカワイイ系」だったため、どうしてもオジョーサンから抜け出せず、あこがれのギャル系(当時はただのヤンキー)にはとうてい辿り着けない、持って生まれた不公平を嘆いてもいた。(←バカタレ)そして、恐らくそんな私の外見を楽しむかのように、両親はこぞっておジョーさんらしい服装をごっちゃり買い与えては、しごくご満悦な様子であった。


そんな、何の不自由もなく、重すぎる愛情を一心に受け、ヌクヌクと温室で育ってきたボンクラガールが思春期に日々何を思うかというと、「なんとなく自分が自分じゃないみたいだ」的な、「なんか、もっとこう、自分の生をイキイキと生きてみたい!」とかいう感情で、無論当時はそれを言葉にして整理するオツムは持ち合わせてなかった=ゆえに悶々と鬱屈していた。


ちょうど中3の14歳のとき、そんな悶々をかかえながらも表面上は「ごきげんよう」とご挨拶をかわし過ごす学び舎にて、ひとりのクラスメートがカバンに安全ピンをごっちゃリつけているのが目に入った。当時の周囲の感性では、ステキ!とかカワイイ!とかオシャレ!からかなり逸脱したセンスではあるのだが、なぜか、なぜだか、その時にワタシの目には、「え、なにそれ、超カッコいいんですけど・・・!」と映ったのだ。たぶん、それが始まり。


そのクラスメートから聞かされたイギリスのパンクロックの話、ちょっと遡ったモッズの話、アートやファッションの話・・・全部初めて耳にすることばかりだった。そして異常に興奮したのを覚えている。その夏はピストルズとクラッシュとWhoとヴェルベッツをレコードが擦り切れるまで聴き倒し、流れで発見したSiouxie & the Bansheeds に傾倒し(というかSiouxie教ですか?というくらい崇拝し)、思春期における精神の筆おろし無事通過!したのであった。


これを機に、中3からドップリとパンクとニューウェイブの流れにはまり込み、ひいては見る映画、読む本、鑑賞するアート、理解したふりする現代思想(笑)など、いわゆる80年代オルタナの洗礼をうけ、以降の生き方の指針になった(ような気がしていた)

(神保町っ子の身としては、当然のごとくジャニスに入りびたり!)


その後は、インディバンド組んでギグしたり、宅録して海外の自主レーベルに売り込みに行ったり、エスカレーター式で入った大学を中退したり、果てにロンドンまで家出したりと、今思うと非常にイタイまでにワガママにやりたいことやりながら、生活というか生き方の中心にはいつも音楽があった。そして聞き続けている傾向の音楽は、常に変革し進化し、新鮮な驚きの連続で、決して飽きることなかった。音楽は私にとっては、表現芸術であり、時代の象徴であり、心のタガをはずすヒーリングであり、あらゆる感情を鼓舞するドラッグであり、世界や他者とつながるコミュニケーションツールであった。音楽があれば、この世知辛い人生も、多分生きていける!と、本当に思っていた。それだけ重要なナニカだった。単なるBGMではなかった。


ピストルズ・クラッシュ(キッカケ)

スージー&ザ・バンシーズ(傾倒)

キュアー・エコバニ

ジャパン・デビシル

チェリーレッド・クレプスキュール系

泣きのネオアコ

クリエーション系

モーマス・ハウスオブラブ・ペイルセインツ・ローゼス・La's

渡英してもろシューゲイズとおマンチェとレイブの波にのまれる

ライド・マブイブラ・ジェイムス

XLレコード・デトロイトテクノ系

オアシス・ブラー・ヴァーブ・レディオヘッド

ティーンエイジ・モグワイ・シガーロス

トラヴィス・コールドプレイ・アンダーワールド・スノパト

リバティーンズ・インターポール・デスキャブ・フランツ

ミュー・カイザーチーフ・アーティックモンキーズ・カサビアン


80's~2000'sまでは、古くはレコード盤(その後CD)をジャケ買いしたり、海外の音楽情報を読みあさったりと、積極的に&能動的に音楽を入手する姿勢があったが、2010's以降音楽をとりまく環境がデジタル化するにつれ、アルゴリズムで導かれる「おすすめ」を受動的に聴くようになり、これまでの宝探し的な楽しみ(それは大失敗!というのもふくめて)が、激変してしまったのは確か。


2010's以降は、もうインディとかオルタナというのが、主流のイチカテゴリーになっている昨今、そこにバカみたいな選民意識や「オイラちょっと皆とは違うんだぜ」的なスカシ方の存在意義なんてなくて。むしろ主流も亜流も同次元で横並びというか、それだけ今や私たちの選択肢には多用な広がりがあるという、大進化ゆえの平均化。


ワタクシ個人的には、最近はSpotifyにお任せというか、お金もかけず(サブスク料はあるがこれまでのレコード&CD投資と比較したら米粒みたいなもん)これだけ音楽探求の枠が広がっていくのか!と思うと、逆に萎えてしまうのであった。


ここ数年は、テクノ系のダンスものか、60-70年代の懐メロを中心に、やっぱり80's~2000'sの過去ものばかり聞いている。そんな中、お!これは!と感じているのが、Bicepというテクノ系ダンス音楽のデュオ。北アイルランドのベルファスト出身で、たぶんね、同じ時期に同じような音楽を聴いて生きてきた人の匂いがするの。88-93年のころレイブやテクノ、あのあたりの空気感。


基本ビーチ好きゆえか、トロピカルなハウスとかテクノは好んでBGMにしていて(10代の私が聞いたら嘆きそう)、Kygoとか大好きなんですけどね(笑)、このBicepは似たようなジャンルでありながら、根本的に本質的に「若くて才能あるキョービのアーティスト」とは違う、これは確信する。ワーッ!と盛り上がるポイントの溜め方とか、予定調和から逃げる感じとか、ライブでの煽り方とか、やっぱ違うのよ。


なんてゴタクはおいといて、まさかと思うけど、このブログの投稿に興味を持った1億分の3くらいの人はYoutubeでも見てちょうだい。


ということで、すんごい長い文章でしたが、タイトルの「UKロック(オルタナ系)かぶれの成れの果て」とは、イコール、やっぱり何も変わってなくてBicepとか聴いてるよ、というだけのオチでした。

2022/08/03

そういえば昨日階上の住人が逮捕されたのだが

 いま住んでいるのは、北ロンドンのゾーン2と3の境目当たりで、ロンドンの中心から地下鉄で15分程度の結構便利なエリアだ。


よくある「ロンドンの治安」とかいうネット情報は、コピペのコピペの劣化情報を後生大事に使いまわしているため、噴飯もののガセネタがまかり通っているのだが、そんなネット検索結果8割を占める「ロンドンの治安情報」によると、私の住んでいる北ロンドンはどうやら治安が良いらしい。


ウチはヴィクトリア時代の古い家をサックリとリノベした、ロンドンによくあるフラット。天井が高くて、出窓があって、奥行きのある裏庭といった「いかにもロンドンぽい」要素がミーハーな我々夫婦にはうってつけというか、かれこれ5年近く住み続けている。


ウチからちょいと歩けばポッシュなエリアだし、「どこ住んでるの?」の問いに「〇〇〇だよ」と言えば、ちょっとロンドン知ってる人なら「あら、いいところね」と反応されるような、そんな土地だ。


が、しかしね、ロンドンを深く知る者にとっては、最寄り駅とかエリアとか、あんまり関係なくて。同じエリアでも、道を1本へだてると治安の良さ・悪さがガラリと変わることが多い。


実際ウチの最寄り駅から北上するとポッシュな高級住宅街、東方面へ南下すると猥雑なエスニックタウン、真下に南下すると小汚い若者が集うカムデンだったりする。


また、エリアどころか、同じ通りをはさんで高級住宅とカウンシルフラット(公団住宅)が向い合せというのも、よくある光景だ。


さらにここ数十年に加速したジェントリフィケーション(都市の裕福化・階級浄化)で、これまで低所得層が住み貧困と犯罪が交差するような危険地帯が、軒並み近代的な高層マンションやトレンディなカフェやレストランに侵略され、いつのまにやらインスタグラマブルでチャラいトレンディスポットになってたりするから、正直言って「治安がどうのこうの」のエリア区分は、まったくもって意味をなさないのが現在のロンドンなんじゃないかな。


実際私の住む通りの向かい側はカウンシルフラットで、奇声大声や罵倒や喧嘩や破壊音などが珍しくはない。道端に散乱するゴミの状態とか、犬のフンの始末具合とかで、「ああ、ここは、低所得層の住む通りね」と、すぐにわかってしまう。


同じ通りのこちら側は、ビクトリア時代の古臭い建物が並ぶが、ほぼ98%は1件屋ではなく、フラットと呼ばれる、各階ごとに住人が異なるアパート形式だ。そして、5年住んだ感触としては、7割外国人・3割英国人。外国人の内訳は、黒人系と白人系と西アジア系が多く、私のような東洋系は非常に少ない。


と、いかにもロンドン的なごった煮状態の我がストリートであるが、なぜかパトカーや消防車がやたらと来るのだ。(我々夫婦も最近2度ほど消防車を呼んだ。詳細は後日)ちょっとした諍いや喧嘩などで呼ぶのか、月に数回はあの青白いライトがチラチラと窓の外を照らす光景に出会う。


ウチは3階建てのフラットで、各階の住人はそれぞれ異なる国籍、肌の色、性癖、職業的ステータスを持っていて、特に親密になるわけでもないが、お互いに尊重しあっている感じが気に入っている。ベタベタせずとも、助けが必要な時にはお互い手を差し伸べることが自然にできる環境は、心地よいものだ。


が、1年くらい前のこと、ウチのフラットの上の階へ、ダダダダダーッと警察らしき面々が突進していき、しばらくしてから以前の上の階の住人が後ろ手で連行されていった。あらヤダどうしたのかしら?と思っていると、移民局の手入れで検挙されたらしい。


私も以前、ヴィサの切替に手違いがあり、突然「国外退去」の警告が来たくらい、この国は移民に対してマジ厳しい。ロンドンで最初に泊まっていたウィークリーマンションでも一度、不法滞在者を取り押さえしている現場に居合わせたことがある。そのくらい結構頻繁に起きている(のか?)


んで、最近イギリスにしては蒸し暑い日々が続き、リビングの出窓を全開で仕事をしていた昨日のこと、何度も何度も玄関ポーチから屋内へ人の出入りが続き、さすがに「むむむ、何かあったアルか?」と様子を伺うと、なんとまたまた上の階の住人が後ろ手で連行されていった。(以前とは別の住人)


前回は、「あーそうか、イミグレ系ね」と思うような柔らかい警官が主だったけど、今回はがっしりとした強面の警官が多く、ひょっとして犯罪系?といらんこと邪推しながらも、よく声をかけていた住人でもあったので、「それはナイんじゃないかな~」と思いたいナイーブな自分と、「やはり他人の内実はわからないだけに気を付けよう」と背筋を正し神妙な面持ちになった自分が、一瞬だけ同居した。


写真は今住んでいるエリアじゃなく、大昔のヤンチャな時期に過ごしたWestbourne Grove界隈遠くにそびえるTrellik Towerはこの町のシンボル(まったくの個人的見解)