2022/08/04

UKロック(オルタナ系)かぶれの成れの果て

10代の鬱屈した思春期に、「オイコラ!このやり場のない衝動や想念とどのように折り合いをつけたらよいのだ?」と、人並みに悩んでおった時に、救いの手を伸ばしてくれたのは海の向こうから発信されるニューウェイブやオルタナ系の音楽だった。それは欧州中心のバンドやアーティストだったけれど、UKものの占める割合が高かったため、個人的には(当時の語彙力の低さもあいまって)さっくりと「UKロック」とひとくくりにしていた。


実は自分は非常に恵まれた、どちらかというと裕福な環境で育った「いわゆオジョーサン」なのだ、という自覚は昔からあった。そしてそれがとても嫌だった。地元の小学校や近所の遊び友達とワーワーキャーキャーやっていたお転婆娘だった自分が、中学受験して皇居そばの女子校へ進学した時点で、「はい、アナタはアチラ側ね」と、ハブられた気分になったのを覚えている。


そしてうちの家族は非常に過保護で異常なまでに心配症でもあり、友人と出かけられないよう毎週末は家族で旅行やおでかけ、そして学校のスキー教室などは「危ないから」という理由で参加することができず、電車やバスなどの公共交通を極力避けるためにお抱えの運転手がいたほどだ。


さらに残念なことに私の外見が「小さくてカワイイ系」だったため、どうしてもオジョーサンから抜け出せず、あこがれのギャル系(当時はただのヤンキー)にはとうてい辿り着けない、持って生まれた不公平を嘆いてもいた。(←バカタレ)そして、恐らくそんな私の外見を楽しむかのように、両親はこぞっておジョーさんらしい服装をごっちゃり買い与えては、しごくご満悦な様子であった。


そんな、何の不自由もなく、重すぎる愛情を一心に受け、ヌクヌクと温室で育ってきたボンクラガールが思春期に日々何を思うかというと、「なんとなく自分が自分じゃないみたいだ」的な、「なんか、もっとこう、自分の生をイキイキと生きてみたい!」とかいう感情で、無論当時はそれを言葉にして整理するオツムは持ち合わせてなかった=ゆえに悶々と鬱屈していた。


ちょうど中3の14歳のとき、そんな悶々をかかえながらも表面上は「ごきげんよう」とご挨拶をかわし過ごす学び舎にて、ひとりのクラスメートがカバンに安全ピンをごっちゃリつけているのが目に入った。当時の周囲の感性では、ステキ!とかカワイイ!とかオシャレ!からかなり逸脱したセンスではあるのだが、なぜか、なぜだか、その時にワタシの目には、「え、なにそれ、超カッコいいんですけど・・・!」と映ったのだ。たぶん、それが始まり。


そのクラスメートから聞かされたイギリスのパンクロックの話、ちょっと遡ったモッズの話、アートやファッションの話・・・全部初めて耳にすることばかりだった。そして異常に興奮したのを覚えている。その夏はピストルズとクラッシュとWhoとヴェルベッツをレコードが擦り切れるまで聴き倒し、流れで発見したSiouxie & the Bansheeds に傾倒し(というかSiouxie教ですか?というくらい崇拝し)、思春期における精神の筆おろし無事通過!したのであった。


これを機に、中3からドップリとパンクとニューウェイブの流れにはまり込み、ひいては見る映画、読む本、鑑賞するアート、理解したふりする現代思想(笑)など、いわゆる80年代オルタナの洗礼をうけ、以降の生き方の指針になった(ような気がしていた)

(神保町っ子の身としては、当然のごとくジャニスに入りびたり!)


その後は、インディバンド組んでギグしたり、宅録して海外の自主レーベルに売り込みに行ったり、エスカレーター式で入った大学を中退したり、果てにロンドンまで家出したりと、今思うと非常にイタイまでにワガママにやりたいことやりながら、生活というか生き方の中心にはいつも音楽があった。そして聞き続けている傾向の音楽は、常に変革し進化し、新鮮な驚きの連続で、決して飽きることなかった。音楽は私にとっては、表現芸術であり、時代の象徴であり、心のタガをはずすヒーリングであり、あらゆる感情を鼓舞するドラッグであり、世界や他者とつながるコミュニケーションツールであった。音楽があれば、この世知辛い人生も、多分生きていける!と、本当に思っていた。それだけ重要なナニカだった。単なるBGMではなかった。


ピストルズ・クラッシュ(キッカケ)

スージー&ザ・バンシーズ(傾倒)

キュアー・エコバニ

ジャパン・デビシル

チェリーレッド・クレプスキュール系

泣きのネオアコ

クリエーション系

モーマス・ハウスオブラブ・ペイルセインツ・ローゼス・La's

渡英してもろシューゲイズとおマンチェとレイブの波にのまれる

ライド・マブイブラ・ジェイムス

XLレコード・デトロイトテクノ系

オアシス・ブラー・ヴァーブ・レディオヘッド

ティーンエイジ・モグワイ・シガーロス

トラヴィス・コールドプレイ・アンダーワールド・スノパト

リバティーンズ・インターポール・デスキャブ・フランツ

ミュー・カイザーチーフ・アーティックモンキーズ・カサビアン


80's~2000'sまでは、古くはレコード盤(その後CD)をジャケ買いしたり、海外の音楽情報を読みあさったりと、積極的に&能動的に音楽を入手する姿勢があったが、2010's以降音楽をとりまく環境がデジタル化するにつれ、アルゴリズムで導かれる「おすすめ」を受動的に聴くようになり、これまでの宝探し的な楽しみ(それは大失敗!というのもふくめて)が、激変してしまったのは確か。


2010's以降は、もうインディとかオルタナというのが、主流のイチカテゴリーになっている昨今、そこにバカみたいな選民意識や「オイラちょっと皆とは違うんだぜ」的なスカシ方の存在意義なんてなくて。むしろ主流も亜流も同次元で横並びというか、それだけ今や私たちの選択肢には多用な広がりがあるという、大進化ゆえの平均化。


ワタクシ個人的には、最近はSpotifyにお任せというか、お金もかけず(サブスク料はあるがこれまでのレコード&CD投資と比較したら米粒みたいなもん)これだけ音楽探求の枠が広がっていくのか!と思うと、逆に萎えてしまうのであった。


ここ数年は、テクノ系のダンスものか、60-70年代の懐メロを中心に、やっぱり80's~2000'sの過去ものばかり聞いている。そんな中、お!これは!と感じているのが、Bicepというテクノ系ダンス音楽のデュオ。北アイルランドのベルファスト出身で、たぶんね、同じ時期に同じような音楽を聴いて生きてきた人の匂いがするの。88-93年のころレイブやテクノ、あのあたりの空気感。


基本ビーチ好きゆえか、トロピカルなハウスとかテクノは好んでBGMにしていて(10代の私が聞いたら嘆きそう)、Kygoとか大好きなんですけどね(笑)、このBicepは似たようなジャンルでありながら、根本的に本質的に「若くて才能あるキョービのアーティスト」とは違う、これは確信する。ワーッ!と盛り上がるポイントの溜め方とか、予定調和から逃げる感じとか、ライブでの煽り方とか、やっぱ違うのよ。


なんてゴタクはおいといて、まさかと思うけど、このブログの投稿に興味を持った1億分の3くらいの人はYoutubeでも見てちょうだい。


ということで、すんごい長い文章でしたが、タイトルの「UKロック(オルタナ系)かぶれの成れの果て」とは、イコール、やっぱり何も変わってなくてBicepとか聴いてるよ、というだけのオチでした。

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