2018/06/14

ああ我青春のEcho & the Bunnymen @ロイヤルアルバートホール

先日2018年6月1日に、ロイヤルアルバートホールでのEcho & the Bunnymen公演を観に行ってきた。

エコバニ@ロイヤルアルバートホール 2018


エコー・アンド・ザ・バニメン(以降略してエコバニ)なんて知っている人の方が少なくなってきた昨今だけど、80年代ネオサイケの大御所ともいうべき彼等エコバニは、当時をリアルタイムで体験した私世代のオバサン&オジサン(の一部)にとっては、超クールでカッコイイ存在だったのである。


は?80年代ネオサイケ?と首をかしげる人も多いかと思うので、ちょっとだけ補足ね。

この国イギリスは70年代にパンクムーブメントを生み出した素晴らしい功績があるのだが、そのパンク以降に派生したポストパンクまたはニューウェイブと呼ばれる音楽シーンのヤバさは本当に尋常じゃないの。この70年代後半~80年代のポストパンク/ニューウェイブの多様性ときたらマジで節操がなくて、ゴスやエレポップやスカやダブやファンクやノイズやアコースティックなど、もうなんでもござれ的なカオスぶり(笑)

しかもイギリス特有の反体制的なDIY(自分でやっちゃおうぜ)精神が根底にあったものだから、いわゆるインディペンデント/自主制作という新たなチャネルを舞台に、技術よりもアイディアや姿勢優先の「ヘタウマOK」「やったもの勝ち」という風潮に後押しされて、雨後の筍のごとくワラワラと新しい音楽が生みだされていたという、とても豊潤な時代。この頃のポストパンク/ニューウェイブって、恐らく現在のオルタナ/インディーズ寄りロック/ポップの原点である!といっても過言ではないんじゃないかな。


当時を振り返るドキュメンタリー番組、興味ある方はぜひ見てね。
Music For Misfits The Story Of Indie
私と同世代の元トンガリキッズには感涙ものですよん


そんな当時のポストパンク/ニューウェイブ界隈で、ロンドンのラフトレードや、マンチェスターのファクトリーレコードと共に勢いがあったのが、リバプールのライブハウスEric’sを中心としたZooレコード。

ここからは後に影響力を持つ素晴らしいミュージシャンたちが羽ばたいていったのだけど、その中でもアタマひとつ抜きんでていたのが、Echo & the Bunnymen。暗く重々しく時に激しく深く刻まれるビート、眩暈がしそうなほど幻惑的なギターの響き、シニカルでいてネガティブではなく覚醒的なボーカル、全般的なダークネスの中にしかと存在する光、攻撃的で不敵なサウンドながらも、胸に響く哀愁的なメロディライン・・・ もうね、私の文章力を全て出し切って形容してみたけど、それでも言い尽くせない魅力に満ちていたのがエコバニの音楽で、当時は「ネオサイケ=新たなサイケデリック音楽」と呼ばれていた。

このネオサイケというジャンルは、Chameleons, Sad Lovers & Giants, The Soundsなどの泣きのメロディが心に沁みる抒情派ネオサイケ軍団を生み出したし、Joy Division, Siouxie & the Banshees, Cure, Bauhausといった大御所の音楽にもその片鱗が認められ、さらに後々の90年代に生まれるシューゲイザー系へと連綿と伝わっていく、結構重要なキーとなるサウンド形態でもあったりする。

ともあれ、そんなイギリスが生んだネオサイケの申し子・エコバニのライブがロンドンであると聞いて、うーん、ちょっと複雑な気持ちになったのは確か。

なぜならば、私個人的には「昔は良かったぜよ」と、10年も20年も前の音楽に固執するタイプでは全然なくて。むしろ、常に変化を続ける音楽シーンの中で、その時その時の自分の心に刺さる作品やアーティストを追っかけるのが趣味みたいなものだから、「2018年の現在にエコバニも何もないでしょ?」というのが正直な所だった。だって大体が、初期エコバニの若くほとばしるエネルギーに魅了されていたワケだから、それと同じものを還暦近いイアン・マッカロクに求めるわけにもいかんし。それ以前に、このエコバニというバンド自体が、もうすでに「過去の栄光にすがっているだけのつまらんバンド」という悲しい事実もあるわけで。

それでも今回のライブに行く決心をしたのは、なんかね、一種の禊というか、けじめをつけたかったのかもしれない。

思いおこせば遥か昔、世の中がバブルに浮かれ始めた頃、それまでの質実剛健で生真面目な価値観を一旦チャラにして、軽薄なバカ騒ぎで大事なものを誤魔化しているような、なんとも気持ちの悪い時代があった。いわゆる80年代のバブル期である。そんな時に思春期を過ごした私は、日本中をとりまく狂騒的なバブリームードに違和感を拭えず、とりあえずはパンクやニューウェイブ音楽でも聴いてお茶をにごすしか術がなかったのを記憶している。表面上は良い子を演じながらも内面的には陰隠滅滅で(笑)、人生にどう対処していいかワケ判んない時期に出会ったエコバニの音楽。腐った日常の常識の偽善に満ちた周囲への嫌悪に溺れながらも、垣間見る一筋の光みたいなものだった。レコードやビデオを擦り切れるまで再生し、彼等エコバニの存在そのものに心酔していた。

特に1983年のロイヤルアルバートホールでのライブ映像は、ほとんど神がかっていたなぁ。彼らの視点は現実を超越して、もうひとつの世界を見つめていたんじゃないかと思うくらい、取り憑かれたような静謐な気迫に満ちていて、いわゆる「ゾーンに入った」状態が明らか。たぶんメンバー個々の意思や意図といった次元を超えて、まさに大いなる宇宙エネルギーと交信していたんじゃないかな。初期のインタビューでギターのウィルが「ギターを持ってそこに立つと、ギターが勝手に僕を導いてくれるんだ」と朴訥な少年のように語っていたし。イアン•マッカロクのカリスマ性も然ることながら、夭折してしまったドラムのピートの鬼気迫るドライブ感は圧巻。ピートのドラム無くしてエコバニはあり得なかったはず。

Echo And The Bunnymen Royal Albert Hall 07 18 1983


そんなわけで、私の中で一種の「伝説」となっていた、エコバニの1983年のロイヤルアルバートホールでのライブ。それを35年後の2018年に、なんの因果かロンドンに住むことになった50過ぎの私が、あれほどまでに恋い焦がれた憧れのロイヤルアルバートホールで、エコバニに再開するというのは、なんか非常にドラマチックじゃない?と、瞬時に盛り上がってしまったのだ。

たぶん私、あの頃パンクとかニューウェイブとか聴いてなかったら、エコバニやキュアーやバンシーズに傾倒してなかったら、20代でロンドンに家出することもなかったし、ひいては今のダンナさんと出会うこともなく、結果的に「いまここロンドンで生きている現実」すらも、まったく違ったものになっていたはず・・・なんて、いろんな思いをよぎらせながら、行って参りましたエコバニ@ロイヤルアルバートホール。

ロイヤルアルバートホール

サウスケンジントン駅からテクテクと歩いて会場へ向かう道すがら、もう絶対にエコバニ観に行くんでしょ?という井手達の中年カップルが結構いて、なんか微笑ましかった。いわゆる中年ズ=40代~50代(中には60代も)が大半を占める会場は、パンクとかオルタナとかゴスとかの黒っぽくトンガった雰囲気が皆無で、普通にデップリとビール太りした気の良さそうな面々がニコニコ上機嫌。私わりと気合入れて黒ずくめのロックな恰好してきちゃったんだけど、ちょっと浮いてたかも(笑)

例のグレゴリアン聖歌が会場中に流れ、初期のRescueで幕を上げたエコバニのライブは、果たして、やはり思ったとおりのショボいエコバニであった。2005年の来日ライブでも感じたけど、ヴォーカルのイアン・マッカロクはタバコで声をつぶしちゃってるし、ギターもベースもドラムも存在感は薄々だし、もはや「バンド」ではなく「イアン・マッカロクとその伴奏者」に終始しちゃってる。カリスマ性とか、各メンバーのエネルギーが織りなす臨場感あふれる空気感とか皆無で、ただ、かつてのヒーローがそこに居るというだけ。

でもね、哀しいというよりは、歳をとるってこういうことだ、と素直に認められた気がする。私自身いまだに20代くらいの気持ちで生きているけど、同世代のくたびれちゃったバンドの同窓会みたいなライブで、自分自身が老いていく事実」をしっかり見つめるよい機会となった。

相も変わらずエラそうな口をたたくイアン・マッカロクのMCは、35年前と同じように、やっぱり何言ってるかわかんなくて(笑)名曲のCutter やKilling Moonを同世代の中年ズと一緒になって、席を立たずに(!)大声で合唱しながら、ロンドンの夜は更けていったのであった。

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