2017/07/14
ロンドンの移民として思うこと
人種差別ノー!なんてコトは、部外者の立場だったらいくらでも簡単に言える。
日本人というマイノリティの移民としてロンドンで生活していると、自分自身が人種や文化や階級といった差異によって、差別したり・されたり、逆差別したり・されたりと、どちらの立場でもある経験を沢山する。つまり、被害者であり加害者であり、傍観者であり偽善者である、ということか。
ロンドンという移民の多い都市は、大声で「難民のお前は自分の国へ帰れ!」と罵倒するような差別が簡単にまかり通るような幼稚な場所ではない。
むしろ、誰もがモワっとした違和感を呑み込んでいるのが、この都市の現実なのかもしれない。
たとえば、実際に自分が差別の対象になった時、それが常習化してしまう環境にいる時、自身の内に芽生える負の感情は、敵対する相手を「アイツラ」という向こう側へ押しやり、逆差別という「自身の中の線引き」をせざるを得なくなる。
または、自分と異なるマナーや常識を持って生きる他者を、一種のカテゴリーに組み込み「アイツラ」という向こう側へ押しやり、否定的な感情を押し殺して、礼儀正しく相手を抹殺することが日常化してしまう。
目に見えない差別というのは、そういうものだ。
そしてそれに気づいているのか、気づかないふりをするのか、はたまた本気で何も見えていないままなのか、それがこの都市での生き方の指針に直結する。
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