絶望的な状況(シチュエーション)に置かれても、“それでも希望はある“と信じたい切なさが『フロリダ・プロジェクト』にはあるのだが、『ダニエル・ブレイク』の根底に一貫して流れるのは、希望もクソもない絶望的な現実(リアリティ)に対する抗議の声だ。
もっと極端に言えば、『フロリダ・プロジェクト』はフィクションでファンタジーを謳い、『ダニエル・ブレイク』はドキュメンタリーで観る者をアジテートする。
つまり、貧困のトラップに落ち込んだ経験のない層(=イコール、このような映画を観る人達)に対して
「うーん、いるよね、こういう下品な貧困層って(嫌悪感丸出し)そういう環境で育っちゃった子は可愛そうだけどさ、でも頑張ればそこから抜け出せるんじゃない?」
と無責任な楽観性を持たせるのが『フロリダ・プロジェクト』だとしたら
「こんなバカげた政策があっていいのか?ここに描かれる悲劇は決して他人事じゃない。単純に援助や手助けをするだけじゃなく、抜本的解決が必要なんじゃないか?」
と何らかの関与を促す『ダニエル・ブレイク』なんじゃないかと、個人的にはそう思ってる。
ただね、私たちは映画を観るときに、何を求めるかというと、ある程度の娯楽性だよね。それは、現実を忘れるひとときであって、そこにディープなリアリティを突き付けられてもねぇ…、と思うのも確か。
そういった意味では、下品で汚い貧困生活、それぞれの事情を抱えながらも、ユニークで人情味あふれる人々に囲まれ、そこで生きる子供たちの視点でとらえたワクワクするような世界、ひと夏のできごと、哀しい結末、それらを乗り越えるかのような夢のファンタジーワールド、「虹の向こう」へと主人公の瞳が大きく開く瞬間… といった涙腺ポイント満載の『フロリダ・プロジェクト』の方に、軍配が上がるのかもしれない。
『フロリダ・プロジェクト』の魅力のひとつに、その映像美があって。私のような古い世代にとっては、『バグダッドカフェ』や『パリス・テキサス』といった名作を思い起こす、郷愁感あふれるテキスチャーと色合い、そして空間に満ちる余韻のようなもの、が感じられる。フロリダの人工的な世界、パープルピンク色のモーテルを舞台に、全般的にポップな色調で描かれるのが、まさに対照的な貧困と、そのギャップがツボ。
さらに、『フロリダ・プロジェクト』のエンディングは、その意表をつく展開に、賛否両論だろうなと推測に易しなのだが。私個人的には、アラン・パーカーの『バーディ』のような、膝をポーン!と叩きたくなるような、“それまでの絶望的なまでのシリアスさはドコいったのよ~!”と拍子抜けするアッケラ感が、見事です。まさに、希望はあって、いいよね?という世界観。
ということで、どちらかというと『フロリダ・プロジェクト』寄りの感想になってしまったけど、私基本的にはケンローチ監督のファンなので、『ダニエル・ブレイク』については、また別途書くことにする。(大昔の『スゥイート・シックスティーン』についてはコチラ: Sweet Sixteen / 2002 UK)
アメリカのサブプライム以降の貧困をポップに描く40代の新鋭監督と、イギリスの緊縮政策が引き起こしている貧困に怒りの声をあげる81歳のベテラン監督。それぞれの見解で切り取る「いまここにいる弱者」のストーリーは、日本人である私たちの目には、どのように映るのか?が気になるところ。他人の映画レビューを鵜呑みにしないで、自分の感性を頼りに見た人の感想とか、聞きたいなぁ。
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