2007/03/03

チベタン・ビレッジ-バイラクーペ



Bylakuppe(バイラクーペ)というチベットを追われた難民が住居を構える地へ行ってきた。ここはマイソール市内から車で2・3時間ほど西へ向かったあたりに位置し、Madikeri(マディケリ)というチャーミングな町のちょっと手前にある。



私はこれまでダラムサラ以外にもこのような地があるとは知らなかった。相当に無知である。あまりに恥ずかしいので、ちょっとネット検索をしてみると、中国の迫害から逃れ、祖国から亡命してきたチベット人達が居住を認められた区域は、インド国内に30箇所ほどあることが判った。更にそのほとんどが、なにもない荒れ果てた広大な土地で、初代移住者は相当の苦難を味わい、異なる気候、風土病や野生動物と闘い、命を賭けて開墾していったらしい。このように祖国を追われたチベット人が作り上げたインドの中の「チベット」は、世界中どこにでもある「China Town中華街」と同一視してはいけない気がするし、実際、その有様はまったく違う。

バイラクーペは、やはりだだっ広く何もない土地のど真ん中に、4つのキャンプ(居住区)といくつかの寺院が突然ドカンと存在している。キャンプとキャンプの間や、寺院との間は徒歩では回れないくらい広い。そして居住区も寺院も、キッチリと区画内を外部と分け放つためか、しっかりと壁で囲まれている。「こちら側」と「あちら側」の線引き。この光景は確かに、現地と同化しつつも自文化をキープするチャイナタウンとは別物なのだと、ヒシヒシと思わせる。


ひとつの寺院へ一歩足を踏み入れると、途端にチベタン・ワールドとなる。修行僧たちが寝起きを共にする建物、極彩色まばゆい壮麗なマンダ ラ画、神々しくもオドロオドロしい神々の姿、五体倒地でお祈りをするチベット人、オムマニパドメフーム、遠くで響く荘厳なチベット音楽の調べ、あどけなさ の残る年端の行かない修行僧、メメント・モリ、芝生の広場でくつろぐ家族、そしてパシパシと写真撮影に余念がない私たち観光客。


チベットに対する興味は、子供の頃に読んだ中沢新一で培われた。

バルドゥ・トゥドルゥ(死者の書)に表される死後の世界と、最近の臨死体験研究との相似点。生をより生きるために、死を恐れることなく見つめる姿勢。ルン(=プラナ・気)という概念と、生と死。例えば、目を覆いたくなるほどにグロテスクな「死に至る~死後白骨化するまで」を描いた絵画、「われわれの肉体は単なる衣装である」と悟らざるを得ない、富も地位も名誉も無意味な「完全なる現実」である肉体の死の有様が、死後の醜く腐敗してゆく過程を綿密に、容赦なく描きだされている。そこにピーター・グリーナウェイの「ZOO」のセンチメンタルさなどを重ねちゃいけない(笑)。また、たとえば緻密なマンダラ画の中に見られる世界観。チベットの信仰は厳しい気候風土に育まれ、苦難の歴史によって更に強固に培われた、生そのものであり、つまり死でもあり、そして魂の流転であり、それはアルファでありオメガであり・・・要は世界そのものだ。近代化と共に限りなく西洋化し、なまなましい生も死も隠蔽して、表面的な物質的享楽に価値を見出す生活が常の私たち「物質的先進国」住人が、ハッ!と感銘を受け、こころ惹かれるのは不思議じゃない。

そんなアレコレが頭の中をグルグルし、圧倒されるようなチベット・ワールドに目を回す。ひとつの小さな寺院は、小さな螺旋階段で2階、3階、4階・・・と昇ってゆける仕組みになっている。最底辺の壁を囲む地獄絵図ワールドは相当にグロテスクで、そこから1階ずつ昇るごとに、聖なる世界へ変容してゆく。あ、この建物は曼陀羅を立体化したんだ、と気づいた。ピラミッドのように、上へ上へと上昇して、聖なる天へと向かう感じ。もともと曼陀羅の世界観ってのは、2次元に収まるもんじゃなかったに違いない。

この日は運の良いことに、寺院の広場でお祭りっぽい催しがなされていた。荘厳なチベット音楽に乗せて、さまざまな舞踊が繰り広げられていた。広場の周りを覆いつくす家族連れたち、まるで運動会のような、のどかな光景。同じモンゴロイド同志なせいか、チベット人たちの風貌にはついつい親近感を感じてしまい、なんだか妙にホッとする。


文献やメディアの中のチベット、インドの中で知るチベット。でもまだ私は、本当のチベットのことはなんにも知らないまんまだ。