2003/06/14

僕らはみんな惨劇を待っている


陳腐で薄っぺらな平和の影に潜む「崩壊」は陰惨で目もあてられない。終わりのない作り物の表面的な退屈な平和の欺瞞に息を潜めて時をやり過ごす。身も心も肉塊も唾液も精液も吐瀉物も糞尿もバクテリアも存在してないかのような清潔を保つ。嫌悪感が嘔吐を催しやがては悪意と化して「それ」が澱のように少しずつ少しずつ確実に私達を蝕んでいく。感受性の自由を、表現の自由を3歳児の頃に見事に奪われて以来、自身すらも滑稽な唾棄すべき存在としか映らない。

崩壊寸前、でも「普通」を保つ為には鼻歌のひとつでもはんでヒョイと水溜りを避けて軽やかな足取りで覇気のない群集の波を上手に縫って歩くしかない。歯車の一部としてまっとうに見せかけるくらいの技量は持ち合わせていなきゃならない。そこにある己の汚物をまともに凝視しないように平穏を装い、朗らかな高笑いをことさらに周囲に響き渡らせて。

みんなおんなじ。

毎朝鏡に映す自分の諦念と憤怒を併せ持つ尋常でない瞳を街頭のあちこちで他人の顔に発見する。

崩壊寸前。

自ら進んでリセットするだけの元気がない私達は、ひょっとして何かを待っている?

若い夫婦が我が子を虐待の末殺害。通りすがりの他人を目的も意図も感情もなく殺害。若い怒りのエネルギーを発散するかのように人を殺すように恋人を犯す青年。常識人の服を着た地下鉄の痴漢常習犯。ちょっとしたケンカがエスカレートして思いがけず妹を張り飛ばした時の高揚感。激情の果てに暴力的な夜叉と化した自分。ひとたび一線を越えてしまった時の自己制御の効かない自分自身。

退屈な退屈なくだらない日常の、断層プレートにかかるひずみのような些細な出来事。

メディアを賑わす陰惨な事件を耳にする度それが理解不可能な出来事とは決して思えない。起こるべきして起きたと理解しているから。その土壌は確実に明らかにいつの間にか私達を取り囲んでいた事実を感じ取っているから。だけど大半の良識ある人々は相も変わらず上っ面だけのキレイゴトで片付けてしまう。キチンと覚醒している私達にはそれが茶番劇だとよく判っている。そしてそういうものなのだと納得した振りをしておく。自分の中の「崩壊」を放棄できないまま、起こりえないであろう惨劇を待ちわびながら。

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