2003/06/21

たわいもない1日


 散歩をする。

見慣れた路地を歩いては、終わりのない倦怠をもてあます。
車の音、工事の音、子供たちの音、風が通り抜ける音、世の中の音の洪水。迫ってくる世の中との距離、そこにあるのに触れられないような違和感。自分の皮膚の周りに分厚いオーラが取り巻いて、外界を遮断しているようなブヨブヨとした感覚。そんな感覚をを面白がってゆっくり堪能しながら散歩をする。

太陽の光は茂った街路樹のフィルターがかかり、キラキラの小さなたくさんの光となって降りかかってくる。橋を渡る、このあたりは水路だらけの橋だらけ、そしてまた橋を渡る。何年も放置された死体の様に朽ちて水没した船の残骸の上を渡る。浮浪者の黒い影を視界の隅に認める。きっと私の知らないどこかで誰かが死んでいく。

何も起こらない土曜日。

怠惰な倦怠は私をどんどん甘やかしていく。それを享受するのは一種のお努めだ。

行く先は本屋。
ひっそりと冷たい静寂に支配されているような本屋がいい。圧倒されるほどぎっしりと背表紙の並んだ、梯子が必要な天井まで届く本棚。私は神保町で育ったせいか、本屋の匂いにただならぬ郷愁感を覚える。ピカピカの新書の並んだ近代的な大型書店より、古い紙の匂いの漂う空間を持つ本屋がいい。そこで何時間も何時間も立ち尽くして、うんざりするほどの想念に食傷気味となるまで時を過ごす。

食事処に立ち寄る。
おっさんがサバの味噌煮定食を目にも留まらぬ早さで食べつくすような食事処。日本のおふくろの味なんて外食でしか食べない。最後に手作りの味噌汁を飲んだのはいつだったんだろう。ほかほかのごはんにごま塩をふりかけると、なんだか子供の頃の食卓を思い出した。お父さんがまだ生きていて、お母さんもいて弟もいて愛犬がテーブルの下でおねだりをして私に蹴飛ばされいる光景、そんな頃の味がした。あの頃は土曜日も日曜日も永遠に続くと思っていた、ような気がする。でももう忘れた。

鳩の死骸がいなくなっていた。
昨日通勤時に目にしたあの鳩の軋轢死体が、きれいに取り除かれているのを発見する。昔ほど動物の死体を道路で見かけることがなくなった。

また陽が暮れる。
夏至の頃の日暮れ、逢魔が刻、夜になる直前の不思議な明るさ。昼の顔をした人々が闇を行き、夜の行動をとるにはまだ早い中途半端な不安定な時間帯。さあお外の時間はもう終わり。蛍光灯の箱の中へお帰りなさい。

たわいもない1日。

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