2003/04/29

僕と猫との物語・君の名はプスキン

君の名はプスキン、だからそう呼ぶと君は振り向いて僕を見つめた。





生暖かい風が澱んだ夏の夜、君は道端に「堕ちて」いた。
ミャオともミュウとも言わず、小刻みに小さな体毛を震わせて、
ぺとん、とマンションの出口の道端にへたり込んでいた。
僕は僕で、当然僕のくだらない日常があって、
コンビニに買い物にいく道すがらにそんな君を発見した。


「ああ、死にかけた子猫だ」と、その時思った。
そして「余計なものに関わりたくない」と同時に思った。
だから何もなかったかのようにそのまま自転車に乗り、
僕は一路コンビニへ夜食の買い物へ向かった。


それが出会い。
運命なんて言葉には虫唾がはしるけど、
じゃあ他に何て言うの?となれば、それは運命としかいいようがない。


コンビニから家に戻る途中、
あの「死にかけの子猫」はきっともういないだろうと
タカをくくっていた僕は、果たして君に再会した。
30分前と同じポジションで、同じようにみすぼらしく惨めな状態で
グシュグシュな体毛を半ば逆立て、微動だにする気力もなさげに
途方に暮れた瞳が空を見つめていた。


かわいそうとか、同情とか
そんな陳腐で安易な感情は沸かなかった。
そんな単純なキレイごとではなくてもっと切実で深いところで
本気で迫る「何か」を感じた。


放っておけば死ぬんだろうな。
手を差し伸べて救うのは僕じゃない誰かであってもいいはずなのに
この時ばかりは、それは僕じゃない誰かの出番ではなくて
まぎれもなくこの僕しかいないコトがあまりにも明らかだった。


無視するのは簡単だった。
見て見ぬ振りは子供の頃から身につけた処世術だった。
「なかったこと」としてトボケてしまえばいいだけだった。
例えば、電車で座っている僕の前に立つ老人
例えば、路上で目撃するケンカ
例えば、目の前で行われている試験中のカンニング
例えば、いじめられている昔の友達のすがるような表情。


君は僕を待っていたのかな。
それとも僕が君の現れるのを待っていたのかな。
君が僕の人生に現れるのを。


ともあれ意を決した僕はマンションの部屋に戻るやいなや、
台所から小皿を取り出して、よく判らないけど牛乳を皿についで
階段を駆け下りて、子猫の前に差し出してみた。
グシュグシュの死にかけの子猫は牛乳に見向きもしなかった。
その小皿をそこに残したまま僕は、また階段を息せき切って駆け上がり
今度は靴箱を持ってグシュグシュ子猫の元に戻った。
相変わらずグシュグシュの子猫は僕を見るでもなく、
死を待ち詫びているかのような「悟りきった老人」の表情で
汗だくの僕をせせら笑っているみたいだった。


ちくしょう
そうつぶやいて、僕はグシュグシュの首根っこを捕まえて
手にした靴箱の中に放りこんでやった。


ミャ、
と力なくグシュグシュは小さく小さく抵抗の意を表した。


これが始まり、これが僕と猫のとの物語の始まり。
捕まえたグシュグシュのミゼラブルな死にかけの腐った子猫の首は
思いのほか暖かかくて、少しだけ当惑した

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